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続き・・。
 人はあちらの世界に移行して、審判の日に尋ねられることをエドガーケーシーは以下のような事だと言っています。

「あなた方は、その人生でいかなる霊的理想を掲げたか、またその理想に対してどの様な事をしてきたかということを神様に釈明しなければいけない」

そのためには、先ず自分の使命を知らなくてはいけません。

それを知るヒントを光田さんは以下のようにおしゃっていました。


「先ず自分を分析すること。
必ずそれは自分の得意なこと、或いは好きなことの中にあります。
ある程度しぼったら、その中で神様に報告出来るようなことかどうかを検証します。

見つかったらそれをするための現在の環境を全て受け入れましょう。
持たされている物が全てで、ベストだと言い切ることです。

そして、手元にあるもので、トレーニングします。
すると次の機会が必ずやってきます。
そこで又ベストを尽くすこと。そして栄光は宇宙に還すこと。

これを守っていると永遠にこのサイクルは続きます。」

とおっしゃっていましたウインク

光田さんも、エドガーケーシーを伝道(笑)するのに、最初に出会った本を自分が買って、背中に背負い一冊づつ売る事を考えたそうです。

そして、就活した時に最初に買った本を出版していた「たま出版」に就職したいと願い、京大卒業予定をひっさげて門をたたいた所、あっさり門前払いを受けてしまいます。

それでも彼はめげませんウインク
とりあえず、下から二番目の成績だったにも関わらず大学院を受けることを決意します。そして、夢で院のテストをそのまんま見るというミラクルを起こし、試験に受かります。内容を皆に話していたため、しばらく彼は奇跡の男と言われたとか。

院を卒業したとき、現役のときの経験を糧にしばらくは自分の得意な分野に就職しようと東海村の原発の政府の研究機関に就職します。

その後、そこで労組の組合員になりそこの新聞にケーシーのコラムペンをずっと書いたそうです。
そして、「もうケーシーの翻訳だけで食べていける」という夢を見て、安定していた仕事場をあっさりとやめ、今に至るのだとか。

いろんなところで出会うパッションを持った人が語ることはほぼ同じですね。
ただ使う言語や表現方法やツールが違うだけです。
そして皆さん目がきらきら(笑)

好きなことをしている人は、皆そのことを語るとき、すっごい嬉しそうです。だから人に伝わるのでしょうね手(チョキ)

光田さんがおっしゃっていた「自分を分析する」というのはこの間のお茶会湯のみで、和寛さんがおっしゃっていた「身の丈を知る」ということに通じます。

山を登るのに最初からエベレストに挑戦する人は居ません。
小さな山からトレーニングして、もう少し高い山、もう少し高い山を目指すのです。

今登った山が次の基準になります。そうやって少しづつ、他人と比べず、自分の山を自分なりに登っていけたら良いですよね。

光田さんの今一番熱中していることは14306件のケーシーのリーディングを全て訳して、会員になれば好きな所を引き出せるようにすることだそうです。

そして彼とであった人は、エドガーケーシーの話をとりあえず100人くらいに伝える義務があるのだとか(笑)Mixiとブログで私はとりあえず、達成した事にします
エドガーケーシーを伝道する人
 
ラブの事で感動していたら、すっかり日記のアップが遅くなってしまいましたあせあせ(飛び散る汗)

和寛さんのお茶会の模様もアップせねばと思いつつ、とりあえず、先にお会いした光田さんのお話から^^;

子供のような目をしたって良く言いますけれど(笑)
人は夢中になっているものの事を喋るとき、誰でも子供のような目になるみたいです。

先日お会いしたエドガーケーシーの研究家として有名な光田秀さんhttp://www.spiritualvoyagers.jp/interview_vol005.htmlという方もそんな目の持ち主です。

余談ですが、彼の奥様は、作詞家として有名な吉本由美さんでhttp://warp-on-web.com/yumi_yoshimoto/ 私は由美さんの本を読んだことはありましたが、光田さんのことは知りませんでしたあっかんべー

第一印象は俳優の三田村邦彦さんにちょっとに似ているような?更に華奢にしたようなそんな優男風という感じでしたが、話しが進むに連れて、面白いのなんのって(笑)
本当にエドガーケーシーが好きで好きで仕方無いのねっていうのが伝わってくる方でした。

お話の中で、ケーシー療法の話しを沢山して下さいましたが、髪の毛の話しはすごかったです。パソコンで写真を沢山みせていただきましたが、はげている方のbefore after の写真にはその場に居合わせた方から一斉のどよめきが〜〜ウインク
私がはげていたら絶対やってみようと思うくらいインパクトがありましたウッシッシ

その他にも沢山ケーシー療法を紹介して下さいました。彼が翻訳を始めた頃はほとんど知られておらず、しかも「それ本当にやるの?」的な内容だったにも関わらず、彼は自分でやってみるところが凄いですよね。
髪も光田さんご自身が30代初めで抜け始め、光田秀なのに、光田禿って友人が年賀状をいたずらで送ってくるようになって、やってみたそうです。
そして50を過ぎた今でもかれの髪の毛はとっても黒々として豊かでした指でOK

私が個人的に面白かったのは光田さんが何故ケーシーにはまったかという所で。

彼のお父様は、満州に動員されその後シベリアに抑留され、筋金入りの唯物論者になって戻ってこられたそうで、お父様の口癖は「人間は死んだらゴミになるだけ」だったそうです。

毎日、毎日そう夕食に聞かされていた光田少年も影響を受けて、唯物論者になっていきますが、唯物論者には、どうしてもぶち当たる壁がある。

「どうせ、死んでゴミになるなら、なんの為に産まれてなんの為に生きているわけ?」という答えに対
する回答が無いことです。
まあ、思春期には、必ず、至る病いでもありますよね(笑)
私も同じ疑問を持ちました。

私の場合は、哲学ではなくて、文学にはまりましたウインク
まあ、どっぷり落ち込む前に、楽しい事もいっぱいあるので、そこまで厭世的にはなりませんでしたが。

高校に入り、倫社の先生に尋ねると、「ああほっとした顔それはね、皆がかかる病だから」と言って哲学書を奨めたのだそうです。

高校の図書室にあるような哲学書ですからして、カント、デカルト、読んでもさっぱりわからない。さらに、プラトン、ソクラテス、etc etc あせあせ(飛び散る汗)

彼は救いを求めて、読み漁ったそうです。でも全くわからない。
それに、魂がとか多少でも目に見えない存在が出てきた時点で、その本はいかさまだと掘り投げてしまい、表面は普通にしつつも、毎日、なんで目が覚めるのだろうと暗黒の時代をすごしていたとか。

そして光田さんには、もう一つの矛盾を感じることがありました。
バリバリの唯物論者のお父さんが、「大学は東大の法学部以外、お金は出さん」といったことでした。

死んでゴミになるなら、努力した所で無駄なわけだから適当に暮らして良いのなら、まだ話しはわかりますよね。でも息子には「頑張って勉強して東大の法学部へ行け」ですから(笑)

ご自身の希望は「京大の哲学科」で、お母様の希望は広大か山口大の医学部。三者三様の希望の平均値をとって京大の工学部へ行ったそうです。
入れる頭脳をお持ちだったというところは素晴らしいですが^^;

大学に入ったところで、二年間は、やはり悶々とした日々。
行ったのは大学の図書館と近くの本屋さんのみで、その本屋さんの哲学宗教の棚のみ。
その棚は、ほとんど自分の持っている本棚と同じだったそうです。

そこでついにある日、「エドガーケーシー」という見慣れぬ名前に出会う日がやってきます。
彼はその本を買って帰り、朝4時までかかって読み終えます。

終えた途端「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおダッシュ(走り出す様)ダッシュ(走り出す様)
(ここ本当にその日も叫んでました)と雄たけびをあげたとか。

そして下宿の中を走り回ったそうです(気が狂ったと思われたでしょうねウッシッシ

その本の中には、人間の魂は、生き通しだということ。
不滅の高貴な存在だという事。
という事が書かれていました。

彼はやっと光りを見たのです。生きる意味を見つけたのです。
興奮が醒めた後、猛然と腹が立ったそうです。高校の倫社の先生に(笑)
なんで、カントやデカルトだったんだって。
そして、わかった。皆が知らないなら俺が日本の人にケーシーの存在を伝える存在となろうと。

イエス様やマリア様、観音さまやお釈迦さま、ある人にとってはマイケルジャクソンや、又ある人にとっては、ネルソンマンデラかも知れないけど、ともかく、彼にとってはその日からエドガーケーシーが憧れの人であり、道しるべになったのでしょうねウインク


もう少しだけ続きます走る人
魔法の時間
 
毎日、私たちは音を聴いています。
音は日常レベルでは目に見えません。
でも見えない音を何の疑問もなく聴いていますウインク
それでも、年配になると聞き取りにくく、若い人にだけ聞こえる周波数があって、それで、騒音対策をしているというニュースがあったりします。

又、日常で紫外線を畏れてUV加工のものを身につけるというのも、もはや当たり前になっているけれど、その紫外線だって目で見る事は出来ないですよね。

実は、目に見えない世界というのもそのようなもので、宇宙からのサポートというのは、万人に降り注いでいて、その気になれば、誰でも受け取る事が出来るらしい・・・っていう風に書くと、これまた、途端に胡散臭くなるのが、不思議だよねあっかんべー

でも〜〜大真面目にそれに取り組んでいると、びっくりするくらいのシンクロに日々気がついていきます。最初はちょこっとです。
面白いくらい、色んな事が起こり始めるし、いろんな事を面白がれる。

宇宙からのサポートがあるといったって、錬金術みたいに、何かを金に変わったり、水がワインに変ったなんてシーンは私は、まだ目にしたことがありませんあせあせ(飛び散る汗)
でもね、金粉とかは普通な出来事です。

だから、水がワインに変ったりする事だってひょっとして、もしかして、ありえたりなんかしたりして〜ウッシッシってちょこっと、龍馬風に言うと、ちくっと(笑)思えるところが、私的には面白いんです。
だって、本当に変るなんて事がありえるなら、それを目撃できたら面白そう!って感じウッシッシ

「いや、100%無いですから考えてる顔」って冷静に突っ込むあなた、それはそれで素晴らしい。
要するになんだっていいのだ。それぞれですから^^;

この世に肉体を持って生きている以上、痛みも感じるし、凹む出来事は、起こります。

悩みだって尽きない。だってお釈迦さまが言ってる、あんな頭のいい方が、難行苦行をした挙句、「(悩みを失くすなんてことは)無駄である」っておっしゃったんだもんげっそり

でも、それを、「自分に起こる事は、良い顔も悪い顔のことも含めて、宇宙のギフトプレゼントだって本気で思えたもんが勝ちゲームウッシッシ」(本気でですよ。自分に嘘ついても仕方ないから。)に参加するかしないかってだけの話です。参加不参加も自由意志。

この本気を疑うゲームを、次から次へと仕掛けてきます。
「なんだ、結局、神様なんていないじゃんぷっくっくな顔」とか、「こんだけクリーニングしても、ちょこっとはかわっても、奇跡みたいな事って起こらないダッシュ(走り出す様)」って思うかもしれない。

でも・・・今までの経験上、一時的に辞めたところで、又その道を行くのが好きな人は、舞い戻るように出来ているって気がします。

そして、クリーニング「有難う、ごめんね。許してね、愛してる」っていう言葉を言い続ける事くらいなら、習慣になれば歯磨きみたいなもの。

有難うって、お題目で言い続けてると、日々、楽に口から出てきます。
もはや口癖です。
それは、「有難う保険」みたいなもので、色で言えば、ピンクや癒しのGreenだったりオレンジみたいな空気を吐き出してるわけですよね。

反対に、ゲロゲロ言葉は、ゴミみたいなもので、「むかつく」とか「だるい」とか言い続けてると、確実に周りはグレイとか黒とかともかくくすんでいくって事は事実。
それを続けてると、残念ながら雲が雲を呼んで大嵐になりそうげっそり
どうせなら、ピンクやオレンジやGreenの雲に囲まれていたいものですぴかぴか(新しい)

そんなゲーム攻略法をビジネス戦士は、「金持ち父さん」とか「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」本なんかを読んで、精神世界好きは「シークレット」「宇宙の法則」とかを読んで、結局は、山の登り方が違うだけって事に気づくのです。

山の登り方は人それぞれ、自分好みの道を見つければ良いのだ。
そんなやり方の一つを昨日又教わりました。

土曜日に来てくれたkeikoさん。しばらく会わない間に、アカンパニストという活動を始めていました。 

one for all , all for one



癒すものと癒されるもの。
治すものと治されるもの。

ヒーリングトレーニングのクラスに行って、そこで授業を聞き、関連する本を読み、起こる出来事を通して、繰り返し問われることは、

「あなたは誰を癒したいのか。何故癒したいのか、ヒーリングとは何か、どうすればヒーリングは起こるのか」

という事です。

私自身、腎臓に難治性という冠のつく持病があり、16年、大学病院に通っています。
毎月検査をし、薬をずっと飲んでいます。要するに現代医学では、原因が不明、よくわかっていない、もしくは、完治しない病気という意味。
そういう病気は一杯あって、大体が免疫抑制剤を飲んでいる。

西洋医学で治りきらない事を知った時、代替療法を探し、そして同時に心の問題と取り組み、段々、潜在意識、超意識と呼ばれる所に興味が移っていきました。

そしてヒーリング(エネルギーワーク)というものが存在する事をしり、本物のヒーラーという人に出会いたいと思い探し始めたのが糟谷晴子さんだったわけです。

余命三ヶ月といわれてから7年生きた人、癌が消えた人、様々と治った人の話しを聞きました。でも正直、半信半疑だった。

なので、ハルちゃんに出あってからも、ヒーリングを受けるのに1年かかっている。
どこかで治ったのはたまたまで、そんなので治るわけないよねって思っていたから。
ハルちゃんも「治るかもしれないし、治らないかも知れません」
そう必ず言う。

それからトータルで10回以上受けたと思うけれど、現時点で私の腎臓の病気は完治していない。そんなに状況も変っていない。

元々、ヒーリングsessionは、私にとっては病気が治るために受けているというよりは、個人lessonのようなもので、日ごろ、疑問に思う事を様々なワークを通じて、もしくは彼女の意見を聞く事の方に意味があった。

なので、最初のインテークの時間に意味があり、ヒーリングの時間そのものは、私にとっては付け足しくらいの本末転倒ぶりでした。
今、私は、私なりに、自分の病気の意味をわかっている。
そして、核の部分をわかっている。
だから、完治を諦めているわけでもないけれど、時期が来ないと、多分それは無理だとも思っている。そして、腎臓の持病のせいで、様々な制約があったり、多少の調子の上下はあっても、私自身、日常で病気にとらわれて生活しているわけではない。


冒頭の質問に戻るが、
本当の意味で、そういう区別は、ないと私は思っています。

それは、ヒーリングに限らず、乱暴な言い方ですが、全ての癒しの仕事に関わる事にいえることではないかという私見です。

治すのは自分、癒し手はその手助け、サポートをするだけ。
簡単に言えば、先に道を歩いた人が、次の人にそのバトンを渡すだけ。
ラグビーのボールは、後ろにしかパス出来ない仕組み。
そんな感じだと思う。
先に歩いているように見える人も自分の道を歩いている。
どんなに先に行っているように見えてもその人の道も、まだ進化の過程。


自分がもう全て整っているという人が居たら、それはもう神様だ。
多分、聖人といわれるような人だって、自分の道を歩いておられる。
ただ自分の故郷に帰るための。


旅の途中に様々な人に出会う。
自分にとって、いい事をしてくれればいい人だし、嫌な事をすると嫌な人と記憶される。それは記憶となって同じような人に出会うと過去の記憶がその人に仮面をかぶせる。
それは全て、実は記憶だったりする。
それが転移と呼ばれるものだけれど。

ある人を好きと思ったら、自分が見ているその人の良さは自分の光りだし、どんなにその人が遠く見えようが、その人の憧れポイントは、自分の中に確実にある種だ。

逆に、なんて嫌な人!って自分の感情を深く揺り動かされるとしたら、
認めたくはないけれど、その何かの鍵は確実に自分の中にある。
例えば、ニュースで、誰かが誰かを惨殺したというニュースがあるとする。
心を痛めるけれど、自分がそれでぶれまくるほど感情を刺激されたりはしない。
自分が揺さぶられるほど、何かが喚起させられたときは、自分にとって、本当に大事な事がそこで起こっている。

以前、ご縁があって物凄いびっくりなセラピーを受けた事がある。
その方は、初対面なのに一番痛いところを突くやり方だった。
それは見知らぬ人にいきなりほっぺたを叩かれたみたいな感覚があって、痛みを伴った。

でもその時感じた感情、それは真実で、私はそれを誰かに指摘される事を恐れていたのだ。
誰だって、そんな憎まれ役できればしたくない。
その方は、それをアロマで治療できるという自信があるからこそ、されていたのだと思うけれど、そういう意味では、今でも疑問だし、ラポールも無いまま、いきなり叩くのはどうよと思います。
ので二度と受けないだろうと思うのは、私の結論。
でも、そこを見た事は、ほっぺた叩かれた意味もあろうというものあっかんべー


光りのversionはそこをどんどん伸ばせばいいし、後の嫌なversionは、自分の中のそこを認めてあげるだけでいい、無くそうと努力する必要も無い。
認めまいとがんばるとそれは影になって、一番嫌なときに顔を出す。

道の歩き方は本当に様々だ。
これが正しいという道があるわけではない。
先達の選び方もそれぞれだ。自分の本当にモデルとなる先輩に一番先に会えたら、苦労は少ないかも知れない。でもそれが最善も道とも限らない。
こっちにいって壁にぶつかり、あっちにいて穴に落ちる。
そうやって得るときもある。



産まれてくるときも死ぬ時も検査を受けるときも試験を受けるときも、応援はあっても、誰も実際に代わりには受けてくれない。ここ一番という時に1人で対峙しなくてはならない。

でも究極は、神様(宇宙、本当の自分、答えはなんでもいい。)と一緒に居ると、自分は1人で居ても1人ではないと。
本当に自分の心の主人になることが出来た時、(神様と一体化でも、宇宙と一体化でも言い方はなんでも。そしてこの場合の神様は特定の神様ではない)
そう思えた瞬間に自分の心の聖杯は枯渇することは無いだろうし、
現実に何が起こってもその人は、ずっと幸せであろうと思うし、その状態でずっと居れることを悟りというのかも知れない。


例えば誰でも一瞬なら蓮の上に座る事が出来る。
その一瞬が長く続く事を祈る。
その道はある日は、絶対不可能な道に見えるし、ある日は、そこまで不可能でもないような気分の時もある。私の場合ですけど。






今日の夕景



忘れてはいけない、私たちの心は深いところで繋がっている。
だからこそ、「全ては自分の中にある」とヒューレン博士
http://blog.hooponopono-asia.org/modules/articles2/article.php?id=6も、そのほかの人たちも言っている。

全ての人の心の中が平和になれば、戦争も無くなる。


初めに戻るが、いろんな人の手を借りて、色んな事を経験し、結局は自分に戻る。自分にとってのテーマは、そこがポイントだからこそ繰り返し現れる。
基礎からはじまり、難易度があがるようなもの。
一度で解決できなければ、次にやればいいし、究極は今世駄目でも又次やればいい。
でも、頑張ってやれそうなら、トライすればいい。

そして、自分が本当に納得した分だけが、後ろに廻せるボールなんだと思う。
そういう考え方っていうか。

そ〜いう意味でラグビーの精神を表す時によく使われる one for all, all for one ってなんだかリンクしてるかも〜ラグビーって深いなって関係ないところで深く納得する私なのでした。

って。やっぱり脱線するのよね〜〜〜^^;

というか、真面目な文章って苦手・・あせあせ
どうしても最後はおちゃらけたい私がいます。(←ここ、私の光りであり影ですウッシッシ
Sensitiveな魂
 サロンでご縁のある人にお会いし、お話をするたびに思う。

なんて、優しい魂なんだろうぴかぴか(新しい)
なんて、繊細な魂なんだろうぴかぴか(新しい)
なんて、綺麗な魂なんだろうぴかぴか(新しい)

って。

繊細な魂は、時として現実世界では生きていくのが辛かったりする冷や汗

でもなんとか生きていかなきゃいけないから、防衛として、笑っておどけてみたり、専制攻撃してみたり、斜に構えてみたりあせあせ(飛び散る汗)
そうやってでも適応できているうちはなんとかなるけど、それさへ出来ないほど痛んでしまったら、引きこもったり、心身どちらかの病気にならざるを得なかったりするふらふら

そこまでいく前に、少し、休憩できたら、弱音を吐けたら、又なんとかやっていけるかも。


「居場所が無い」「自分の役割って何かな」「役にたっているのかな」「生きていていいのかな」「なんだか寂しい」とか、凹んだ時に、実は結構みんな思っている。

でも社会の役割としてお父さんだったり、お母さんだったり、仕事していかなきゃいけなかったり、後輩を指導しなきゃいけない立場だったりして、精一杯、頑張って立っている。今、「大人」な年代の人でも誰でも触れられたくない場所がある。
安心して甘えられる相手には、小さい子供のように甘えたい時だってある。

物凄く意地悪な人がゴミはいてても、その人は今それで精一杯なのかも知れないボケーっとした顔

皆、偉いね。よく頑張ってるね。お疲れさまって、ガイドたちはみんなを見守っている。

繊細な魂たち、神様と一体だった、もしくは宇宙と一体だった意識をより覚えている魂たち。それでもこの世界で精一杯適応して、頑張っている魂たち。

繊細、優しい、愛、魂?そんな浮いたような事ばっかり言っていたら、「現実的には、生きていけないじゃんがまん顔
そんな風に自分を責めがち。

「もっとしっかりしなくちゃ」「もっと頑張らなくちゃ!」
「繊細や敏感な体質なんて、いい事あるのかな」ってそう思う事も多々あるかも。

そんな時は、空を見上げて下さい。

あなたは、誰よりも月満月の美しさが分る人ぴかぴか(新しい)






あなたは、誰よりも太陽晴れの暖かさ強さが分る人ぴかぴか(新しい)


雲の中に永遠を、風の中に、季節を、感じられる人ぴかぴか(新しい)






誰よりも、そこからパワーをもらえる人。
そして、実は人が好きだから、誰かに与えると必ず、返ってくるよ。
思わぬところから、いっぱい優しさも豊かさも。
それが宇宙の法則だから。
ゴミを吐いたらゴミが。
愛をあげたら愛が。

たまに弱音を吐いても、凹んでも痛んでも、転んでも、全然オッケー指でOK

「私って、もろ、そういうタイプだわ〜あせあせ」って思う方に私の処方せんとしては。

.丱バカしいと思っても、ホ・オポノポノをし続ける
∪み付いてる良くない思い込みはひたすらキャンセルする。
D起きた時と夜寝る前に、「自分の全てを誉めまくれ!」
つ桐遒舛浸用、駆け込み寺を、三つくらい用意しておくあっかんべー

かな(笑)

明日から又新しい一週間チャペル

皆さんに、そして私にも(笑)雪崩れのように良い事が起こりますよう。心から祈っていますハート達(複数ハート)
ぐだぐだ その
 





ハンズオンのヒーリングには、キレーションという型があります。
キレーションというのは「掻き出す」という意味で、最初に余分なものを掻き出し、必要なものを入れて、バランスさせて満たすという方法です。

それは、ヒ〜ラーがするわけではなく、ヒ〜ラーは、あくまでも介在者で、宇宙のエネルギーを流したいガイドさんたちと、クライアントさんとの間のパイプ役です。
高次の存在が降りてこれるレベルというのがあって、三次元にいる人との間の、その間をヒ〜ラーが手を伸ばし、はしごをかけるわけです。

各チャクラには1から7まで各レベルがあり、テクニック的なことを言えば、流し手がそのチャクラを満たす時には、自分がそのレベルに居なくては、流れません。

例えば、あるクライアントさんに直感(6チャクラ、紫色)が足らないとします。
宇宙は、そこを流そうとしますが、媒介者である、ヒ〜ラー側に、紫が無いと、流しようがありません。

逆に、ヒ〜ラーが直感系で紫色が沢山あるとします。そして、そのヒ〜ラーは、1から3までが弱く若干浮き気味だったとします。

その場合、紫が沢山あるから、その一瞬、確かに紫色は流れるでしょう。
でも、不必要なものをかき出す際に、クライアントさんの自信の無さや、自分を好きでないという余計な信念を掻き出すとそれはヒ〜ラーを通して、出て行きますが、ヒ〜ラー自身にも同じように、自己愛が足りなかったり、自信が無いとそこに共振が起こり、ゴミと認識せずに溜まってしまいます。
(立つ立場によっては、そのゴミを感情レベルだけでなく、霊的な問題という方もいれば、カルマを背負うという言い方をされる方もいるかもしれませんね。schoolではそこには触れません。
まだ扱うべき段階ではないし、ややこしいので。)


すると、クライアントさんはすっきり元気になりますが、ヒ〜ラー側は終わった後、「なんだか疲れたわふらふら」とか「調子が悪いなげっそり」とかが起こりうるわけです。
エネルギーは高い所から低い所へしか流れません。

つまり、誰にでもどのレベルもありますが、生まれつきな特性というかどこが強いか、弱いかというのがあるわけです。音楽得意とか数学苦手とか、体育苦手、物理得意とか
そんな感じ?

プレスクールのスクールびよんどの1で、やった性格構造学というのは、正にそこを見るためのスクールでした。

ので、得意な科目は、伸ばしつつ、不得意科目も強化ってういのが正しいアプローチなわけで・・でも本当は1から3が満ちていなければ、上がいくら繋がりやすくても、やはり定着はしにくいというのがあるみたいだし、逆に1から3がバリバリ強ければ、あまり上の事には、興味が無いかも知れません。
大体、ヒーリングなどというものに興味がある時点で、上が好きな方ですか?って感じですもんねあせあせ(飛び散る汗)

って事で、この世界に興味の無い方には、全く意味不明な文章になっておりますが、どうぞご容赦を(笑)

そして、スクールで何回か、ヒーリングの練習があり、テストもあったのですが、今回は一応、合格あっかんべー
オリンピック選手を育てたいけれど、最初は無理なので、先ず、一般レベルからという事で最初はとりあえず誉める方針みたいです(笑)
そして、やっぱりちょっとリバウンドみたいのが来ましたふらふら


「本当に私はここを克服できるのか?弱いチャクラ(特に2、3)を強化できるのか?」と相変わらず自問自答していますが、和寛さんにも「やってみないと、行ってみないとわからない景色があるのだと思いますよ」って言われました。

ふむ・・とりあえず、やれるだけ、一歩一歩やってみるか・・・、まあ、そんな感じです。
ただ、ガイドからは「無理をしない」これだけは鉄則のような感じですm(__)m

和寛さんのお話で、因果の法則というお話がありました。
因果というと、なんか悪いものみたいだけれど、原因があって結果があるという、ただそれだけの事。何故それが起こるか、あるいは、起こったかを教えてくれるもの。

昨日もはるちゃんの個人sessionの中で、「やればやるほど、敏感になっていく・それも事実。胸が痛くなるのも、今、強い殻を作ろうとしている過程、変容の時期。だからこそ、苦手なら、あえて突っ込まなくてもいい。別に今世やらなくても又次やればいいだけの話し。」

「そうやねんよね。でもね、怖いっていったら怖いまんまやんか?私、10数年前に一度、辞めてフラメンコやりだしたのも、「絶対無理!」って投げ出したからだしね」と私。

より鋭敏になっていくのです。

何故そうなっているか、その人のニーズの裏というか、真のニーズを知ること。

その人の怒りとか悲しみとか、孤独とか辛さとかがわかるっていうかね、共振が起こるのは、自分が影として持っているもしくは、執着している部分にのみです。
そこをやるかやらないかっていうかね、自分で光りを当てない限り、変らないっていうか。

ただ、いい事も勿論ありますよ。
その人の光りとか、その人の喜びとか、そいうのも感じれるわけですから。
寧ろその一瞬のためにやるようなそんな感じなわけでして。

先ほどの因果の話しをハルちゃんは、同じような事を結果ではなく、果実という言い方で、教えてくれました。結果よりも果実の方が、なんかいいイメージになるかもね。

私たちは結局、自分の見たいようにしか見てないのだ。
いいものも悪いものも全て含めてね。

楽しいか、楽しくないか・・。
やりたいかやりたくないか。基本はそれだけなのですが、それにたどり着くのさえ、思考で考える私ってどうなん??って1人ノリ突っ込みの毎日です。

と、ここまでが、現在の私が理解している内容です。
(明日には変っているかも^^;)

ただ、今回のschool参加で、やっとね、本当に自分の今のニーズがわかりました。
それだけでも大収穫です。

なんですか?って聞かれたら、皆がひくくらいちっぽけな事なんだけど(笑)
でも私はそれさへかなったら、別にschoolどうでもいいのかもなって感じです。
というか本当の意味ではそこからしか、展開しないというか。

そして、それに必要なのは、ただ、一歩前に進むだけなんだけど、もしくは、崖から飛び降りるような気持ちで望むこと?しかないって事(←本人にとってはって意味です)

その一歩に3年くらいかかるわ、超迂回するわ、違う崖っぷちも行くわ、なんだか自分で大笑いっす。

あ〜〜ぐだぐだぐだぐだ(笑)

でもそういいながらも、前に進もうとするものも私の長所なのかもね・・

ってあくまで自分に優しく愛を揺れるハート

先ず基本はそれからなのだ!


て・・ほとんど独り言みたいな日記でしたm(__)m

お付き合い有難うございました揺れるハート


写真は抱きしめる聖者「アンマ」の手の写真です。
ヒーリングというタイトルにぴったりだと思って、のせさせていただきましたヽ(^o^)丿
ヒーリングに関するぐだぐだ日記 
 



今日は「ヒーリング」に関する思いっきり独り言みたいな日記です冷や汗


ヒーリングってそもそもなんだ?

例えば、母が幼子がこけた時に、手を当てて「痛いの痛いのとんでけ〜ダッシュ(走り出す様)」っていうと本当に痛いのが飛んで行く。それもヒーリングです。

単になんとなく気分が良くなったとか、ぐっすれ眠れたとか、その程度から、究極、癌が消えたとか、歩けなかった人が歩けないようになったとか、麻痺がとれたとか、イエスやブッダや所謂グル、聖人と呼ばれる方が行なったような、「奇跡」と呼ばれるようなレベルまで、
すごく幅が広い、言葉。

といったような、今日は、興味の無い方には、意味不明なしかも脈略の無いお話しだと思われますのでどうぞよろしく^^;

ハルちゃんのヒーリングトレーニングのクラスの今回のスクールビヨンドチャペル

もしも学校だとしたら、既に出席日数もやばく、練習という意味でも完全に落ちこぼれ状態ですが、まだ一応在籍できているのは、授業の全てを録音してくれて惜しみなく補講をしてくれるkaoちゃん、康子ちゃんと知ちゃん、そして、同じく、レポートにまとめてくれて、色んな事をシェアしてくれたkeiちゃん、Sayuriちゃんたちのおかげですぴかぴか(新しい)
この場を借りて、心からの感謝をぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

自分は、直接手を触れるボディワークは苦手だってずっとそう思っていました。

エンパス体質とか、バウンダリーが弱いとか、何より、自分に持病があるしみたいなねあせあせ(飛び散る汗)

けれども私の家族に必要なことがでてきて、自分に何か出来る事があればと思い、はるちゃんが、9月から始めたヒーリングトレーニングのクラスに行って見たのでした。

これは、一応、プレであったスクールの卒業生対象のみのクラスです。
最初は好奇心のみで、それでも、やりはじみると、楽しくて、最初はるんるんるんるんとやっていたのですが、

練習で母にした時に、凄い共振が起こってしまい、最初は目から鱗くらいの感動的な体験で、一瞬とっても幸せだったのですが、そういった互いの感情のカタルシスと共に自分がパイプになるときに、母の恐怖とか恐れとかも、流れてきているわけで、その日の夜に凄いリバウンドっていうかな〜、が来たのでしたげっそり

その日以来、すっかり体調を崩し、「やっぱし怖いげっそり」って思ってしまったのでした。
ま、家族っていうのは、バウンダリーを保つのは、それでなくても難しい。そもそも私と母は元々そこに沢山学びをもっているのであせあせ(飛び散る汗)


ヒーリングトレーニングクラスとはいえ、テクニックを習うというよりも寧ろ、プロセスワークなので、クラスの中で、様々な事を体験し、それを通して、お互いさまに、成長するのが目的です。

それをヒーリングを練習する事で、今世でビヨンドする飛行機、事が目的。
このビヨンドっていう概念そもそもが、読む人にとっては「??」と思いますがそこを説明すると又長くなるので割愛あせあせ(飛び散る汗)

簡単に言うと、故郷に帰る時に、今回の自分に託した課題を、果たして、意気揚々とヽ(^o^)丿っていいながら、帰ろうみたいな感じ?

なので、ヒーリングだけが、山を登る方法じゃないんだから、苦手なら、あえて突入する必要も全く無いわけです。

50人の宿題のうち、半分くらいで、ヒーリングをする気力がなくなり、辞める気満々だったのですがあっかんべー、直前の個人sessionと、冒頭の方たちのおかげさまで、もう少し半ば聴講生気分で続けて見ることに(笑)

何度も辞めるチャンス?が来るんだけれど、そのたびに何かがそこへと連れていく?みたいな。

行ったら、行ったで楽しいし、物凄くためになるんだけれど。
なんせ、課題が多く、凄いです。はい・・。

今回のは、かなり本格的なので・・「病気の地図帳」や「身体の地図帳」なども買って具体的に身体の組織の勉強や、それと各チャクラとの関係、日本でのロルフィングの第一人者でもある幸田先生のコンティニュアムの
http://www.chronicstudents.com/continuum/jp/index.htmlのワークがあったり、その宿題やレポートやら、カウンセリングを受けるのも必須で、スクール生は超熱心です。

で、その情熱に、最初から出遅れている私としては、「あ〜^私、情熱なさすぎなんちゃうん??ていうか苦手意識がそもそも駄目じゃんあせあせ」みたいな。
school生に「ヒーリング好き?」って聞くと「大好き目がハート目がハート」って返ってくるので、素晴らしい。

私もね、痛んでる人がいると、無意識に手を当てるしハグもする。
でも、それは、お母さんが、子供さんにやる意識に近いんだよね。

ヒーリングの練習は、本当にある意味毎回、命がけ・・・。
そうかくと、めちゃ大層でしょあせあせ(飛び散る汗)

でもね・・真剣にやらないと文字通り、色々とね、肉体的にも精神的にも、日常的にも、起こるものでして・・・。

それに、フルキレーションとブレインバランスを全てを15分から20分でやる(←それくらいしか集中力が続かない)だけでも、ちょっと気を抜くと、意識が思考に変っているので、はあ。集中力必要なんだよねえげっそり

専門用語の多さと難解さに、途中で挫折してしまったバーバラブレナンの「光りの手」「癒しの光り」は私の今のスクールの参考書みたいになってます。

本に書かれてるようなことを、はるちゃん風にやっている感じかな。
金額も結構かかるし、4年生だし、出来ないと上がれないし、何より、school以外の受けなきゃいけない科目が多い。

でね、その間、常に問われるのは、

「ヒーリングとは何か?あなたは誰を癒したいのか、何故癒したいのか、なんのためにそれをしたいのか」

って事です走る人続く。

写真はようこさんに描いてもらったマリア様の絵ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
 
回答例?
色んな意味で、日々勉強中の私ですが、
最近、自分が経験したことの中で、色々考えたことをまとめて整理したものを、更にわかりやすく理論だてたような、模範解答のような文章を登録しているユイワンさんのMLの中で見つけたので、皆さんにもシェアします ぴかぴか

勿論、これは、現時点の私が無理なく、受け入れられる、今の私にとっての一つの模範回答例ですが たらーっ



よつばのクローバーよつばのクローバーよつばのクローバーよつばのクローバー


星第4チャクラ(ハート・チャクラ)とオーラの第4レベル(アストラル界星


(前略)


 オーラフィールドのレベルは、チャクラに対応する形で第1から第7レベルまであって、それぞれのレベルは、一定の周波数帯のエネルギーで構成される領域ないし「界」だ。

 その中でも第4レベルは、伝統的にアストラル界(星気界)と呼ばれ、それ自体で一つの大きな世界を形成している。

 いわゆる体外離脱(アストラル・プロジェクション)体験で旅をするのも、シャーマンたちがトランスに入り出かけて行くのも、古典的な魔術師たちが自然霊を呼び出して作業を行うのも、この世界。

 多くの人は毎晩、少なくとも寝ている時間の一部を、体を抜け出し、アストラル体(古い言葉では幽体)として、この世界を旅したり、亡くなった人や、生きている人(同じように体を抜け出て来ている人)、また自分のスピリットガイドなどと会うことに使っている。

 普通の夢とは違う、とてもあざやかで実感のある夢を見たり、夢の中で亡くなった人と話をして目を覚ます時、それはこの世界で実際に経験したことである可能性が高い。

 この世界では、人の内面にある思考や感情が目に見える色や形として姿をとる。
その「形」はしかし、とても流動的で、いとも簡単に姿を変える。我々の内的世界がそのまま外的な世界として存在しているので、それを作り出している人の内的状態が変化すると、ただちにまわりの環境も変化する。(または自分自身が気がつかないうちに違う領域に移動していることもある。)


(中略)


周波数の高い領域には、スピリットガイドや自然霊などがおり、周波数のずっと低い領域に降りていけば、いわゆる「煉獄」や「地獄」のような場所もある。
ただしこれらも、そこに集まる魂の内的世界が反映されてできているのであって、「神」が人を罰するために作った領域などではない。

 人間の内的世界(そのもっとも高い部分から低い部分まで)が、すべてそのまま外的世界として表現され、経験される場所。

だからこの世界を「仕事場」とする古典的な魔術やシャーマニズムの訓練では、自己の恐れと向かい合い、ハートの力を強めることを徹底的に訓練する。



星人間界とアストラル界 星

(前略)


 古典的な修業、あるいは現代なら心理療法などで自分自身の内面を浄化しながら、このレベルに意識的に感覚を開く訓練をしていくと、こういったことが、人と人の間に流れるエネルギーや、チャクラとチャクラの間に結ばれるコードとして、具体的に知覚されるようになってくる。

 ただし、こういった知覚はつねに自分自身の内面の目というフィルターを通すわけなので、心理療法などを通して、フィルターに積もっている過去からのごみを掃除していくことが欠かせない。

 なにしろ自分が外の世界に投影したものも、エネルギーである以上、形として知覚される。感情的な人や思い込みの強い人は、投影の力も強い。
このレベルで自分の内面をまわりに投影しまくって、「あなたには○○が憑いている」とか、好き勝手言っている怪しい霊能力者やおせっかいな人たちはいっぱいいる。

 そんなはた迷惑な「スピリチュアル・マッチ・ポンプ」にならないためにも、投影を減らすために内的な明晰さを作り出していくことが、他のレベルで知覚を広げていく場合以上にいっそう重要なのだ。

 第4チャクラを通しての知覚は、第3チャクラの理性、良識、客観性とバランスされてこそ、また人間としての成長と進化の段階に統合されてこそ、実用性のあるものになる。


(後略)

「エネルギーの海 スピリット通信」 第19号 2008年9月17日発行
王由衣 より抜粋



よつばのクローバーよつばのクローバーよつばのクローバーよつばのクローバー


spiritualと名前のついた世界は、物凄く特異な世界のように思われている。

確かに特異?だけれども、実は、皆がやっていることを意識化して行っている世界ともいえると思います。

誰でも顔つきや、身体の様子から異変を感じ取ったり、その人の機嫌や精神的な状態を、見てとったり、雲ひとつない晴れた空でも湿った風から雨を予見したり、見た夢で親しい人との別れを予見したり、お母さんは、子供の簡単な痛みを「痛い、痛いとんでいけ〜ラブ」って実際にとったりしている。

そんな事を職業としてやる癒し手は、専門に勉強して
例えば、カードや星や数秘や、色やアロマや、沢山のツール(手段、道具)を使って提示したり、ツールを必要とせず、普段、きちんと別れている世界の層をその時間に限って移動して情報を持ってくるのが、シャーマンやヒーらさんなのだと思います。

そしてその世界は、
怖ろしく発信者の中が投影される世界なのだとつくづく思う。

自分の内在する畏れが大きければ、畏れにものすごくひっぱられたリーディングになってしまうだろう。

誰の心の中にも畏れや不安はある、「磨かれた鏡」で書いたように常に自分自身が畏れに負けないようにしなければ、リーディングどころか、それは、恐れの垂れ流しになってしまう。

恐れってひきずられやすいのだ。そして、ある意味簡単に、相手をコントロールする事が出来る。

たとえ相手にとって、一年後に振りかかる大災害がキャッチできたとして、その人がそれを告げられた事によって、明日を生きられなければ意味がない。

だから、私の知っているヒーラーさんたちは、常に、真摯に勉強を続けているし、自身が愛の存在であるように、自分と向き合い、時には他の鏡に自分を映したり、瞑想や祈り、自然と向き会う事などによって、畏れや色んな塵を振り払うことを忘れない。

そんな癒し手さんを私は尊敬するし、
そんな方たちと、お話したり、ワークを受けたり、lessonを受けることで沢山の事を教えていただいています。

そして、自分がsessionをする時も、目の前の方にとって、光になるように、言葉は慎重に選択し、常にその瞬間のベストを尽くす人で在りたいな〜って思いますラブ
磨かれた鏡
今日の話題は、spiritual好き?な人の中でも、全くかすらないかも知れない、話題ですので、興味のない方は、スルーして下さいね。

それはわかりやすくいうと、例えば、音楽好きの中でも、pops好きな人がハードロックには全く響かないようなもんですイヒヒ

この数日、久しぶりに「陰陽師」読書を読み返してました。

なんでかっていうと、ほとんど実写版?みたいな世界を、近くで垣間見る機会があったので 汗

その中の私のポジションは、やっぱり源博雅?ただ見てるみたいな(笑)
で、ごくたまに同じものが見える事もあったりもする。

でもやはり手出しは出来ないし、見てるだけ。
笛もふけないし^^; 

私が持っているのは、岡野玲子氏のコミックの方で、絵なのでわかりやすく入ってくるけど、解説の方はかなり難しく、読み飛ばしていた部分も結構あって、今読み直すと、面白い。

数にまつわる話しとか鬼門封じとか方たがえとか、呪詛返しとか方陣の作り方とか。それって錬金術とか西洋の世界でもそうだけど、
まーなんつーか、一言で言うと、平たくいうと、異界への門ドアって感じなのかな

この世は見えない人には、見えている世界だけだけど、実は何層にも重なっていて本来綺麗に分かれているはず・・なんだけど

たまにひずんで出口が開いている場所があったり、
わざとほんの少しだけ開けられたりしているところがあったり、
逆に何かの拍子に(例えば、この上ない美しい音楽を聴いたり、素晴らしい絵を目にしたり、自然の夕陽や朝日に感動した時)など、
上が空いて、通じることもあるのね〜ってなんとなく理解したりします。

そりゃ上と通じることさへあるんだから逆もあるわけだよな〜なんて感じで。

どうせ見えるなら、上の綺麗な高次の世界だけ見えたらいいな〜って思うけど、本来、見えないものを見るという事は、全ての存在が見えても不思議ではないわけで、
天然で見えてしまって苦労している人を何人か知っているだけに、
見えるのも大変だよねって思います。


ある日、ハルちゃんとの話しの中で、霊的な存在を必要以上に怖がる私に
「なんで〜?同じやん。なんか困る??」
というので
「いや、だって綺麗ものだけ見たいの。だって怖いもの」
っていったら、
「あははは。それって、ノリコス(鵜久森のりちゃん)と全く一緒やん。」って笑われた。

そして、その時に、本人が見たいようにしか見えないというか、見たことがあるものに形づけられるだけで、結局はエネルギーだからね。って言われたのでした。

最近その事が、なんとなくリアリティを持ってわかるようになったけど。


又ある日、spiritualだいっ嫌い派の大学時代の友人が

「ご先祖さまは居るけど、天にいるねん。間違っても背中にはおらへんねん」
って言った時に、

「存在は肯定するけど距離がいやなんや」って大笑いしたけど、よく考えたら、

結局上のお話も同じ事なんよね^^;

好奇心旺盛だと、ついつい沢山の情報が入ってくるけど、一度取り入れて、今の自分には手におえなかったり、理解不能だったら、別の場所に入れて、保管しとけばいいのだって。

でね、又時期が来たら、今回みたいに取り出して、又吟味して、
「あ〜やっぱり私にとってはこういう付き合い方でよい」と選択して、まだ吟味の必要があるようだったら、元の場所に戻して、いつか完全に整理できたらもうなくなってるんだろうな〜なんて。

段々、その中で、自分の中のスタンスとか、かかわり方とか、得手不得手とかが、わかってくる気がします。

でもね、闇(って言葉のイメージがこれまたどうよって思うんだけどわかりやすく言えば)を扱う人は、常に飲み込まれないように、自分と闘わなければならないし律っしなければならないし、磨かれた鏡のようでいなければならない。
それって、大変なことですよね 唖然

その代わりに沢山の光も目にするでしょう。闇が光に変る瞬間の美しさ。

それが出来るから偉いとか、特別というわけではなく、私が知っている何人かの方たちは、いやおうがないというか、そんな関わり方という感じがします。

少し、乱暴な言い方ですが、それでも、そこに関わるのは、あくまでも自由意志であって欲しいと私は願います。

たとえ、その人が関わらないことによって、何かの破滅が避けられないにしても、その人個人の魂が望まなければ、それはだたの、犠牲になってしまう
その人がそれを通して、幸せであって欲しいと祈ります。


晴明が源博雅に「お前は、闇に入るのだろう。しかもその闇は、半端な闇ではないのだろう」尋ねられて答えるところがあります。

「人の心にあるという闇や
 鬼の棲む闇などは、闇のうちにも入らぬようなギャップのようなものでとても浅い層にある。

情が重すぎて、上に上れず、行き場を失った魍魎などは怖ろしいものではない。
それらは、強い霊性の光を浴びると消滅してしまうからさ。
真の闇の中に存在できるのは粋美だ。
真の闇とは鍛え上げあれ研ぎ澄まされた不純物の無い剣や
磨き上げられた鏡と一緒だ。
全てを容赦なく映し出す。
ほんの一点の曇りも許されない
おのれの品格を 厳格に問われるのだ。

その方がはるかに怖ろしい。

(中略)

命とりになるのは、自らのなかの暗黒。
すなわち情念だ。

(中略)

あるゆる種は闇がなければ発芽しない
生命は闇の中から生まれてくる。
だから穢れを許さない。

闇というもの
物質というもの
穢れというものの認識を多くのものは取り違えている。」



なので・・
中途半端な覚悟では近づけない世界なんだろうな・・って
しみじみ思うのでありました。


ってこの文章って大丈夫ですかね、浮き世離れしてません??
破片を繋ぎあわせる
東京からMちゃんが遊びに来ました 新幹線

彼女が東京からくれた ケータイ

たださわりを聞いただけなんだけど、

背中がぞわぞわぞわってして、「う・・唖然聞きたくないけど、知っているよね。思い出したくないけど、もう思い出さなきゃいけないのかも汗」って思ったりもして。

その後、こっちの知り合いばかり集まって、ようこさんの手料理を囲んで一年ぶりでMちゃんに会って色んな話をしました。
そこの話も又面白かった。けど、個人的には、ちょっと混乱したりもして。
かなりシリアスな話も多かった。でもそのシリアスさを打ち破る、みいこちゃんも素晴らしかったけど イヒヒ

ここのところずっと、階段の踊場にいた感じでした。
次の階段の螺旋がはじまる階段の踊場。
もう後がつかえているのに、先に上るのが怖くて、どれだけそこに居るんですか?って後ろから、つつかれている気分だったのも確か。

いつもそうだけれど、必ず、シンクロして物事は起こるべくして起こる。一つの答えが導かれようとしている。

マヤ歴のsessionを受けた事もそうだし、
おのころ心平さんに会ったのもそうだし、
和寛さんというお坊さんに会ったのもそうだし、
その前にマーリンさんに月に一度サロンでお会い出来ているのもそうだし、ハルちゃんに月に一度、今は会っているのも意味がある。

最近は、苦手な、瞑想を毎日している。
瞑想が苦手なのではない、意識して瞑想するというか、ちょっと修行チックにするのが苦手なだけ

でも。今は意図的に瞑想をしている。
ま、ハルちゃんのこの一ヶ月の宿題でもあるんだけど、
スクールで出された宿題でも、毎日はしなかった私が今は毎日やっている、必要にかられるとするよね、人って たらーっ

今、ここにあるために。
自分を感じるために。

日々、情報は色々入ってくる。
私のように、いろんな人に合っていくタイプはなおの事。
正反対の情報もある。
でも所詮、人に聴いた話は人の話で、本で読んだ話は本の話で、
結局人は自分で選択していくしか他にない。

でも恐れにとらわれず、なるたけ、ぶれずにそこに居るために、
瞑想は役に立つ。ただそれだけのことなんだろうと思います グッド


そして、昨日Mちゃんがサロンに到着。
10時開始予定が、いきなり大ボケして一時間遅れてのスタートになったのには笑ったけど。

クライアントさんも私と話しながらゆっくり待っている。
彼女にしてもMちゃんに会うのは初めてだし、私と話す時間も必要だったりする。
その後もお昼さへ抜けば、なんとかなる流れで、後から考えると、全て上手く行くようになっていました 拍手

今回予定に入っていたのは、
私のクライアントさんともう1人、縁あって、マーリンさんのワークに毎回出てくれている女性。

2人ともMちゃんとは全く面識がない。

けれども、ミュウさんのお奨めならグッドって事で受ける事にして下さったらしいです。

私が誰かに直接、私以外の方のsessionをお奨めする場合は、
その人にとって良いかもと思う時のみにしています。

誰にでもマーリンさんのsessionをお奨めするわけじゃないし、
誰にでも、ハルちゃん(の個人sessionは特に)を紹介するわけではないです。

今回のMちゃんの場合は、その中でもかなり特殊なので、私からは告知だけで、特に誰かに奨めたわけではないです。
でも、お2人ともなんか受ける流れになっていたとしかいいようがない(笑)

セッション後、元々私のをを受けてくれた事がきっかけの女性は、

「物凄い、すっきりしました。何もかも。
この三ヶ月、ミュウさんにお会いしてから、マーリンさんのsessionもとっても良かったし、今回の事で、又全てが憑き物が落ちたように、すっきり流れました。

今までも情報はいろいろあったり、自分なりに少し探していってみたりしたけれど、今ひとつピンこなくて、ハートに響かなかった。
これからも色々起こるとは思うけれど、それでも1人じゃないって、わかっているから、何かあれば又ここに来れるって思えるから、とっても嬉しいです。」

とおっしゃってくれて、

もう1人の女性はある会で隣に座った人なんだけれど、

「あの時、よく声をかけて下さったって思うんです。今日のsessionも、言葉にして説明しにくい事も説明の必要がなかったし、とっても意味がありました。又自分の中に本当に入るまでに2,3日、必要とおもいますけれど。」って。

彼女は、この世で1人ぼっちっていう気持ちがとっても強かったそうです。
物凄いトンネルから自力で脱出して、なんとか上手く周囲にあわすことが出来て、浮かないことを心がけ、表面上は何の問題も無さそうに見えている。
けれども、たまたま彼女の何かが私と波長があって、Seedsに来る人や、ヒーラーさんや、ゲストに対してのガードがない。

2人の感想を聞いていて、とっても不思議な気分だった。

私が何かをしたわけではない。ただ、マーリンさんを紹介しただけ、ただ、Mちゃんを紹介しただけで、マーリンさんとMちゃんのsessionやワークが素晴らしかったという事だ。

けれども、2人が歓んでいるのをみて、しかも私に感謝までしてくれているのを聞いて、物凄く嬉かったし、びっくりもしたポッ

なんというか・・ただ、単純に嬉しい ぴかぴか

来られた人が来たときよりも、元気になって帰って行くとき。
顔の色がワントーンあがって帰っていかれるとき、本当に嬉しい。

今日もありがとう ぴかぴか

来てくださったお2人に感謝だし、Mちゃんに感謝だし、
この出会い、それぞれの出会いの下になった人たちに感謝だし、
そうやっていくとどんどん数珠繋ぎに繋がっていく。

そして、面識が無い二人が、お互いの経験をちょっとしたお茶タイム(Mちゃんと私と、前後のクライアントさんと4人で)の時に自然とシェアしていた事だった。
自然に個人的な話に(さわりだけだけど)なって、そこから次のsessionに自然と入っていく流れになっていた。

ゲストが2人とも、多分ここは、何を話しても大丈夫っていう場が出来上がっていたからこそのお話だと思う。
聞く人が聞けば、ディープな話なのに、普通の話みたいに話して、当たり前の話として聞いていた。

めちゃ手前味噌ですが垂水のサロンのいい所があるとすれば、一回で終わらず、色んな出会いを繋げていくことが出来るところだと思う ラブラブ

その気になれば、日ごろの日常とは少し違った視点や出会いや職種の違う人たちや、年代の違う人たちと触れ合う事が出来る。
しかも、全くのお笑企画から、かなりディープなsessionまで幅広く(笑)あるって所かな。

そして、今回のsessionは、特に後半のセッションは私にもMちゃんにも繋がっているお話だった。

それは、本当に遠大なストーリーで、破片を繋げて絵にするようなものだった。壊れた、かけらを集めているようなものでもあった。

そして、最後に私自身のsessionに入ったんだけど、
長くなるので、その内容は又次回ジョギング
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